歴史の中に於いての教訓と戒め

ある読者からの投稿
 これまで日本は、何事に於いても反省を繰り返しながら、世界の国々と手を携え道理を押し進めて来たことは、実々である。
しかしながら、今の日本国民はあまりにも平和であるが為に、自分さえ良ければそれで良し、家族愛もなければ友人近隣への気遣いもないのが現実です。
敢えて申し上げたい。
日本人に言いたい、謂れのない汚辱を我々の子々孫々末代まで、背負わされてはならない問題が山積みしている事をまるで他人事の様に考え生活している。
何が悪いのか。
日本国民が、挙って考えなければならない時だと思う。
 現代、この殺伐としたこんな時に何をどの様にしてどうすれば、憂いを持って世界中の国々と問題の疎通がはかれるのかを考えるときであると思う。
大国であるアメリカ・中国でさえも、自国さえ良ければそれで良し、国益さえ図れればとの考えで、政治をつかさどっていると思う。
人々が、これまで構築して来た大事な心を崩壊させているのが人類である。
そこで、これまで繰り返しされて来た苦難の道程を良く考えて、物事の判断を図らなければならない。
  戦前、日本は、国家の意思で朝鮮や中国の若い女性を強制連行「性奴隷」として、売春を強いたとされこれが広く流布されている。
いわゆる従軍慰安婦問題の輪郭であるが、しかし、いくら調べてもそのような事実があったことを証拠立てるものが見つからない以上、従軍慰安婦は虚構であるという確信に立つ言論活動を私は、行いたい。
 従軍慰安婦問題は、世界的広がりを見せ日本人にとって、汚辱にまみれたイメージが付きまとい海外にいる日本人は、この問題で肩身の狭い思いをしている限り、一刻も早い解決を図りながら日本の立場を明確にすべきである。
又、胸を張って内外にコメントできる政治家が必要である。
江戸時代後期にかけて、明治維新により大政奉還をさせた幕末の志士の国を思う志し、熱き心、その様な心が今必要だ。
男子たるもの全てを投げ打ってでも、その思いを簡潔するべきである。
今、この時こそ愛国心を持って政治を司る事が肝要である。
仁とは、人の心です。
義とは、人の歩む道です。
日本人の心の中であるすべての教えは、先人の経験に基づいて、言い伝えられた戒めだと思う。
良い躾け、悪い躾け、昔の人は、我々に心を教えて頂いたと思う。
 大東亜戦争で敗戦した後も国民が一致団結して、苦難の道を乗り越えてきた大和魂を思い出していただきたく思う。
世界でも例のない体験をした、日本民族の誇りを今、混迷の中からどの様に国民が理解し進むべきであるか良く考える時でもある。
そして、混迷したこの時代を後世に正しく語り継がねばならない。
これまで、ジャーナリストと称する者達が色々な形で事実でもない報道をさも事実のようにしたり顔で視聴者や読者をだまし続けた、反日左翼を叩き潰さなければ、これまでの歴史の教訓は生きてこないと思う。
 特に朝日新聞の報道は、教科書問題然り、従軍慰安婦問題然りである。
偽りと虚偽の報道で真実を捻じ曲げる報道に他ならないのです。
日本国内に誤った認識をばら撒き、又、朝日新聞の反日的な報道には不思議なほどに中国や韓国の報道機関が反応して反日気運を盛りあげます。
そして、さらに大々的に報じ「朝日新聞」がこれをとらえて拍車をかける。
このような事が、何度も何度も行われ、それが、日本に大きな困難をもたらし、国益を損ねたことは言うまでもないのである。
どうやら、日中、日韓の間には、反日のキャッチボールのネットワークが出来ていることはもはや周知の事実である。
私は、ジャーナリズムに潜んでいるこの左翼勢に大きな危惧を感じ、危機感を抱いている一人である。
日本の癌であるとさえ思う。
多くの媒体は、政治的、思想的な中立公正を謳っています。
この表看板に守られて、左翼はそれとなく反日情報を流すのである。
これが、日本にどの様な困難を招き危険に陥れるかは、想像できないほどのものがある。
 筆者は、これからも出来る限りウオッチしてジャーナリズムの動きを察知していささかでも、反日の目が見えれば、厳しい批判を加えていこうと思う。
国内には、国民が知らない所で、数々の不条理があることを読者はわからないと思いますが、私はこれからも機会があれば、悪意を突き止めたいと考えたい。
日本国民誰もが安全で、安心して生活をしていく権利があるのです。
 私は、その為にも何かの形で貢献させていただくのであれば、幸せだと思っております。
これまで、歴史の中で世の為に随分ご苦労された皆様、先人に心より感謝を申し上げるとともに尊敬と敬服の念を送りたい。
そんな思いである。
喜ぶ、怒る、哀れむ、楽しむ、こうした感情を持っているのが人間の人間たる所以である。
「天下のこと万変といえども我がこれに応ずる所以は、喜怒哀楽の四者を出ず」と申します。
生活の様々な場面で、喜怒哀楽の感情が現れないということは生きた人間には、ありえない事です。
何事に於いて取り組んでも真面目な心が肝要なことです。
人類の皆、そんな思いでいるのであれば、何の争いもない筈です。
外からの刺激に応じて、表に現れる。
その時に喜ぶか哀れむか楽しむか、相応しい感情を表に発することが節度に的中することである。
これを「和」という。
筆者は、考えます。
なぜ、論語を引用させていただきましたかは、これすべての物事に当て嵌るゆえである。
歴史を飾られた武士(もののふ)は必ず後世に伝えたいことがあったと思う、これすなわち、人類の幸せの為の教えであったと思うのであります。

 

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