平成二十六年四月二十日 

社会の不条理を糾す会  石川県金沢市に於いて、啓蒙活動

金沢市内での運動には、名古屋から司政会議、また正氣塾の田尻氏や、桜会の 山田氏ら多くの有志が集合した。暴排条例問題や、集団的自衛権及び慰安婦問題などの問題点を幅広い観点から取り上げ、道行く市民に力強く訴えかけた。

木村高幸(司政会議)の想い

 杉田 智(すぎたさとし)烈士に憂国の声が届いたか!! 四月二十日 金沢市香林坊にて立ち会い演説会。
今回は地元石川県の団体有志の方々の他、福井雷鳴塾の方も演説に加わって頂き、三時間という限られた時間も、あっという間に過ぎた中身のある演説会が出来たと思いました。
演説会終了後、会場からさほど離れていない所の石川県護国神社に一同拝礼。

 二年前の平成二十四年十二月八日 、石川県護国神社境内にある「清水登博士」の碑の前で割腹自決をされ、二十二歳という若い命を散らした、杉田智(すぎたさとし)烈士。杉田烈士は金沢大学四年生。平成元年四月五日生まれ。
北海道釧路出身。金沢大学人間社会学域法学類にて学ぶ。
主に杉田烈士は「日本の安全保障」について研修していたといいます。
 自決時の服装は黒いスーツに白いワイシャツ。
腹部を切り、自ら頚動脈を切り、境内を汚さぬため、地面にはビニールシートが敷かれていたといいます。
 御遺体の隣にはバッグ。
その中に身分証明書を入れ、その上に、
雨(みぞれ)に濡れないようにして日章旗が置かれていたといいます。
 当時のマスコミ報道では一人の成年の自殺といった小さく報道しましたが、間違いなく、   杉田烈士は十二月八日という大東亜戦争開戦の日を選び、日本の未来を憂いて自決されたのです。
しかも、清水登(しみずのぼる)博士の石碑を前にしての自決でした。清水博士は戦前の憲法学者であり、元枢密院議長。
 断固反対していた現行の日本国憲法発布の年、日本の未来を憂いて「幽界より国体護持と皇室安泰、今上陛下の御在位祈願を欲す」との書を遺し、自決された方です。
同じく、杉田烈士は「占領憲法無効」と書き記していたとされていました。
自分の命と引き替えにただただ、国の安寧を願って成し遂げた事に御冥福を祈りつつ、語り継いでいかなければなりません。合掌

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