恥の文化・死生観

  終戦前にアメリカのルース・ベネディクト女史が日本文化と西洋文化についての著書「菊と刀」(The Chrysanthemum and the Sword)を出版している。  この著書は、日本人の国民性を研究したものなのだが、その中で、ベネディクト女史は欧米の文化は「罪の文化」であるのに対し、日本人の文化は「恥の文化」であると書いている。
  この中で、ベネディクト女史は日本の「恥の文化」・アメリカの「罪の文化」と表現し、対比させた。 余りにも、日本というものを理解していない幼稚で薄っぺらい中身となっている。

「恥の文化」とは何か?

アメリカは法律があり、また、キリスト教の教えの精神で罪を犯した者は、それを告白し許しを乞う。
翻って日本は、謙譲の美徳があり、人を騙す事に恥を感じ、人を傷つける事に嫌悪感を感じる。
また、己のことより相手を思いやる。他人が、見ていようと見ていまいと常に道徳心に従って、行動し人生を送る。
  東日本大震災で世界から賞賛された「礼儀正しい」日本人が全てを物語っている。
これが、日本人としての道徳心や真面目で勤勉な国民性を作り上げているように思われる
また、日本人が大切にしている義理や人情などもそうであろう。
このようなところからも外国人と違う「恥」という日本人の道徳心があったからではないだろうか。
  戦後、この「恥の文化」を恥ずかしい文化・恥ずべき文化などと考えている日本人が多くなっているように思える。
特に学者といわれる著名人にその傾向がみられる。
これは、「菊と刀」を、何の疑いも無く受け入れ従っていることだ。
基本的なことを間違えていたからだと思われる。

靖国神社参拝を想う

4月23日 心ある国会議員が靖国神社を参拝された。
これに対し、朝鮮や支那は敏感に反応し、抗議声明をだした。
  日本国内のマスコミなどは、北朝鮮のミサイル問題が起こっている時になぜ参拝するのかなどと、参拝したことへの問題視する報道や批判的な言動が目立った。
  衆院予算委員会で「国のために命をささげた英霊に尊崇の念を表すのは当然」と首相をはじめ参拝した閣僚も答えていたが、日本人として当たり前のことである。

日本人の死生観

日本人は、神道では、死後、家族や一族を守護する神となると言われています。
氏神です。
ヒンドゥー教などのインドの宗教では、仏教の輪廻転生とほぼ同じです。
  朝鮮人、支那人などとは死生観や道徳観が全くといっていいほど違い、彼らには理解できない。
千年いや一万年経ってもである。
文化風土の違いは、余りにも乖離しすぎているのである。
  また、他国の威を借りて、靖国参拝を批判する国内のマスコミや有識者が多いことは嘆かわしい限りであり、間違っていたりおかしな事をしているならまだしも日本人として、当然の行いをしているのにも関わらず、自国の批判をするマスコミや有識者には恥がないのであろうか。
  昨今、アメリカのニューヨークタイムスや、イギリスのフィナンシャルタイムスが、その社説に於いて、日本の現政権の歴史観を激しく攻撃している。 現に、菅官房長官は河野談話を見直す議論は、行っていないと、曖昧な態度を表明した。
このような態度を続ける以上、未来永劫、日本という国は他国からの「歴史認識」というカードを切り続けられるであろう。
  国民やマスコミ、ましてや諸外国に阿る政治は、日本国を三流国に貶める事になるということを肝に銘じておかなければならない。
2673年続く日本の文化を、欧米的思想で語ることは、滑稽としか思えない。
将来の日本を背負う子供達に、このことを辛抱強く教えていくことが、喫緊の課題である。

 

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