焼肉屋店主の主張 其の五十

9月8日英国エリザベス女王が、お隠れになりました。
謹んで御冥福を祈ります。
松野官房長官は、9日の記者会見で日本は、政府機関に半旗揚揚で弔意を表していると翌営業日の話しは、無かった様です。
戦後教育の弊害により、国旗・国歌を尊重する意識が、稀薄な日本人を量産して来ましたが、1999年に国旗国歌法が成立していて、最高裁は、2011年に「起立斉唱命令は合憲」で憲法19条が保証する「思想、良心の自由」に反しないと教育現場の混乱に終止符を打つ判断を示しています。
現在の日本国憲法下でも日本は、天皇制の国である事は紛れもなく、国旗、国歌に天皇制と密接に関係する旗や歌を用いるのは、当然な事です。
国歌「君が代」の本当の意味は、
君(完璧に成長した男女が)
代(時代を超えて)
千代に八千代に(永遠に千年も万年も生まれ変わってもなお)
さざれ石の巌となりて(結束し協力しあい団結して)
苔のむすまで(固い絆と信頼で結び付いて行こう)となります。
この曲が出来たのは、1880年(明治3年)国歌として制定されたのは、1996年(平成8年)です。
歌詞は、平安時代に作られた古今和歌集の中に在りお祝いの歌として歌われて来ました。
君が代の君は、「き」と「み」でイザナキノミコト(男神)イザナミノミコト(女神)の事で、イザナキの「キ」とイザナミ「ミ」を合わせて「キミ」「君」となり、「君」とは、「男と女」の意味が隠されていました。
そして、イザナとは、「誘う」誘い合う男と女の事で、「イザナミ」成り成りて成り余るところあり、「イザナミ」成り成りて成り足らざるところあり、と完全ではない二人が重なり合い子を授かる事で、完全な大人に成り、その時、生まれたのが私達「日本人」で、日本人は、「神の子」だったと言う位置付けになります。
「千代に八千代に」
その代が、生まれ変わってもなお、二人は結ばれ永遠に続くようにと
「さざれ石の」
ひとつひとつは、小さく力はないけれど
「巌となりて」
二人が、結ばれる事で生まれた子供やそれぞれの両親・親戚全ての者が、力を合わせて団結しひとつになる。
 「苔のむすまで」むすとは、天地に最初に現れた三柱の神のうちの二柱、タカミムスヒ、カミムスヒの「ムス」を指します。
この神に性別はなく、ムスと言う字に「コ」が付くと「ムスコ」になり、「メ」が付くと「ムスメ」になります。
「むす」を漢字で書くと「生す」と書き、「子供を養い育てる」と言ういみがあります。
「苔」は、永遠に存在するものではなく、その中で新しい生命が誕生し、古いものが死に土となり、徐々に広がりをみせる事から、「苔」は、子孫繁栄を示しています。
日本の神道(しんとう)の中心にあるのは、生むではなく育てると言う事なのです。
和歌は、五七五七七の韻を踏むのですが、「君が代」の句は、五七六七七と字余りになっているのは、「間抜け」「魔が差す」と言う様に、悪い物は、すき間から入り込むと考え、すき間を埋める為にあえて字余りにしているのは、「払い」を意味します。
「君が代」の歌詞は、天皇崇拝や戦争の象徴などではなく、子孫繁栄の恋の歌であるのと同時に、払いの歌でもあるのです。
この美しい歌の意味を何故、教育の現場である学校で教えないのでしょうか。
憲法に国旗、国歌を明文化しなければ、不毛な論争が止まないのでは、慚愧に堪えません。
戦後、憲法を改正させない為に世界でも類を見ない衆参議会三分の二の賛成と国民投票によって過半数の賛成を要すると定めている現憲法の96条ですが、2007年(施行2010年)第一次安倍内閣の時に、この96条の改正要件を過半数に緩和する法案を衆院で可決しています。
憲法学者や左派マスコミ、立憲、共産党は、猛反発していますが、1955年自民立党以来の自主憲法改正の悲願の道筋を、故安倍さんが開いていて、戦後77年の時を経て、漸く憲法改正に手が届く処まで辿り着きました。
中国発コロナ禍に始まり、ロシアによるウクライナ侵略や中国による台湾侵略を想定させる大規模軍事演習で威嚇するなど、国連を中心に西側諸国が築き上げてきた国連秩序を核兵器保有国の力による現状変更を試みる行動が、世界情勢を混沌とさせている事からも、日本国民の生命、産業を守る為に権利、自由を過度に増長させる現憲法を改め、義務と責任を伴う憲法改正が迫られています。
凶弾に倒れた安倍さんの国儀葬が、世界に告知されているにも拘らず憲法96条を緩和された意趣返しに印象操作のモリ、トモ、カケに桜を持ち出し、挙げ句に旧統一教会問題を、死人に口無しの反論できない安倍さんに責任を押し付ける手法は、アンフェアです。
抑も、旧統一教会の一番の功労者は、下村博文衆議員で、文科大臣時に統一教会名称変更に関与した疑惑や政調会長時には、旧統一教会系の陳情を「党公約に必ず入れるように」と指示していた疑いを文春砲が報じるなど、岸田政権と自民党を窮地に追い込んでいる旧統一教会問題の元凶は、沈黙を決め込む下村博文なのに、TVメディアや左派マスコミは、話題にしないのは、故安倍さんでなければ都合が悪いからなんでしょうか。
国儀葬を敢て国葬と言い変えて反対する護憲学者や左派マスコミ、市民団体を名乗る工作グループに立憲、共産党の面々は、憲法改正に反対するのならば、民主主義のルールに則り選挙で政権を取って下さい。
姑息な安倍国儀葬批判は、韓国の死者に鞭打ち墓を暴く文化の様で、日本の文化には馴染みません。
粛々と静かに見送るのが、大和魂、日本人の心の尊厳なのではないのでしょうか。
憲法改正が、現実性を帯びてきた事に危機感を覚えた宗教界の動きが、活発化しているようです。
宗教界にとって重要な「信教の自由」は、憲法20条で定められていて、信仰の自由、宗教的行為の自由、宗教的結社の自由の3つに分類されています。
1つ目の信仰の自由とは、信仰する宗教の選択、変更の自由、信仰(不信仰)によって、特別の利益、不利益を受けない自由、両親が子供に自分の好きな宗教を教育し、宗教学校に進学させる自由や宗教的教育を受ける又は、受けない自由など国が、「施行告白」「信仰に反する行為」「信仰証明」を個人に強制する事は、許されません。
2つ目の宗教的行為の自由は、宗教上の祝典、儀式、行事、その他布教等を任意に行う自由で、宗教的行為への参加を強制されない自由です。
「信教の自由」は、「政教分離」の原則によって守られる側面もあり、「政教分離」は、憲法20条と89条で定められています。
戦前は、「神社は宗教にあらず」(神道非宗教論)とされ、国家神道が優遇され、反面宗教が冷遇され、軍国主義を支える役割を果たしていた為、戦後にGHQが「神道の国家からの分離、神道の教義からの軍国主義的思想の抹殺、学校からの神道教育の排除」など国教分離の指令を出し、これに基づいて個人の「信教の自由」の保障と政教分離の明確化が、現行憲法で図られました。
自民党改正草案では、国などに「社会的儀礼や習俗的行為の範囲内の宗教的活動」を認める改正で、神社神道に関連した「政教分離」を巡る憲法訴訟が、多く法解釈の混乱などを解消する事が目的なのですが、宗教界は、神社拝礼の可能性を指摘し、国家神道の復活や軍国主義国家への回帰を主張しています。
キリスト教関係者によると、天皇を神として礼賛する君が代には、抵抗があり、日の丸は、アマテラス(天照大神)崇拝に起源を持ち、その子孫とされる天皇の基にある国家を象徴しているとも言われ、日の丸礼拝もキリスト教が禁じる偶像崇拝に当たり、信者にとって君が代斉唱や日の丸拝礼をさせられる事は、信教の自由の侵害になると述べていますが、国旗、国歌法は、平成十一年に施行されています。
自民党の憲法改正草案の重要な処を抜萃すると
憲法1条で、
天皇元首化を規定
憲法3条で、
国旗、国歌を規定
憲法9条で、
集団的自衛権の行使を可能として国防軍を設置する
憲法20条で、
政教分離を緩和して、国などに社会的儀礼の範囲内の宗教活動を認める
憲法98条で、
緊急事態を規定
憲法99条で、
緊急事態時には、国などの指示に従う事
としています。
左派の弁護士は、現行憲法97条の憲法が保障する基本的人権は、侵す事の出来ない永久の権利であるとする規定が削除されていて、国民の憲法尊重義務を規定する102条を新設されている事から、緊急事態が宣言されると「信教の自由、政教分離も無視される可能性があり危険」と国民の不安を煽り、憲法改正阻止を叫びますが、ロシアによるウクライナ侵略から何を学んだのでしょう。
略奪者に抗議や抵抗は、死を意味し、犬も無抵抗でも虐殺されるのですが…。
一般国民には、理解できません。
早い段階で、憲法改正議論を進める事をお願いして終わります。
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