ひなまつり

雛祭り

桃の節句の起原は平安時代に遡ります。昔の日本には五つの節句(人日・上巳・端午・七夕・重陽)があり、当時この行事は貴族の間では、それぞれ季節の節目の身の穢れを祓う大切な行事でした。その中の一つ「上巳(じょうし)の節句」が後に「桃の節句」となります。

平安時代、上巳の節句の日には人々は野山で薬草を摘み、その薬草で体の穢れを祓って健康と厄除けを願いました。この行事が、後に宮中の紙の着せかえ人形で遊ぶ「ひいな遊び」と融合し、自分の災厄を代わりに引き受けさせた紙人形を川に流す「流し雛」へと発展して行くのです。
室町時代になると、この節句は三月三日に定着します。そして紙の雛ではなく豪華な雛人形を飾って宮中で盛大にお祝いするようになりました。その行事が宮中から武家社会へと広がり、さらに裕福な商家や名主の家庭へと広がり、今の雛祭りの原型を形作りました。

元来、ひな祭りは、高貴な生まれの女の子の厄除けと健康祈願のお祝いとしての「桃の節句」が合わさって、庶民の間に定着して行ったお祝いですので、単なるお祭りとは違って、各家庭で行う災厄除けの儀式的な要素を含んでいます。


雛祭りを行う際にはその二~三週間前からお雛様を飾っておき、赤ちゃんと両親。そして、双方の祖父母や親戚などを招いて、赤ちゃんの健やかな成長と災厄除けを願って、雛あられ、菱餅、白酒、はまぐりのうしお汁など、縁起の良い料理で食事会などを行います。
菱餅・雛あられの色は、白が大地、赤が生命、緑が木々を象徴し、そのエネルギーを体内に取り込んで災厄や病魔を祓うという意味があり、白酒は体を清め、はまぐりは二つしっかりと合わさっていることから、将来良い伴侶に恵まれるという意味があります。

初節句のひな祭りは、身のけがれを祓う災厄除けの行事で、古来より縁起を担いで、赤い被布(ひふ)を着せてお祝いしました。赤は、生命力の象徴で魔よけになると考えられていたため、健康と災厄除けとしては最適だったわけです。
子供達の心を満たしてあげられる四季折々の心豊かな伝統行事は、日本の大人として末永く子供達に伝えていくべき行事です。

 

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