暴排条例 「水清ければ魚棲まず」

日本の文化が壊される!

2012年3月3日、ベルサール西新宿において講演会「暴排条例・暴対法がもつ<危険>」が開催された。ジャーナリストの宮崎学氏が司会を務め、辻井喬氏が「表現の自由が脅かされるとき―詩人の立場から」という題で、西部邁氏が「水清ければ魚棲まず」という題で講演を行なった。
この講演を聞いてはいないが、西部氏の講演タイトル「水清ければ魚棲まず」を何となく理解できる。

西部氏の著書の中で、イタリアのマフィア狩りに対して
「イタリアも、マフィアの跳梁跋扈を抑えなきゃいけない事情があるんだろうけれども、僕が思うに我が愛するイタリアの最大の魅力の一つがマフィアがいることなんだ。」と発言すると「そのとおりだ」と大喝采だったと書かれている。
また、「ヤクザのいない社会なんて、料理で言えば塩・胡椒のない料理に似たようなものです。」「うちの娘みたいに真夜中に新宿を一人で歩いている女の子がいたら、ものすごく危ないんだということを知らせてくれるような存在ですね。そういう種類の人たちがいてくれなくては、この国は大人の国なれない。」と、述べている。

西部氏は学者で教養のある評論家だ。
ところが、暴力団排除条例について、人権や憲法論だとか難しい理論で反対を唱えるのではなく「日本の文化」を排除することに反対しているのである。
このまま、任侠道を壊してよいのか・・・と。

風俗営業法違反でクラブが摘発される事件が増えている。
音楽家の坂本龍一氏は法改正を求めて
「クラブはサブカルチャーのハブ。音楽・ダンス・アート・文学・ITなど多くの分野につながっている。クラブの文化を取り締まるのは時代錯誤。日本文化破壊といっても過言ではない」と批判している。
クラブ摘発の背景には、暴排条例と関係があるのかとの声も聞かれる。
数十年の時しか得ていない「クラブ」を「新しい日本文化」とするなら、数千年に及ぶ「任侠」という「文化」を国民はどのように見ているのであろうか?

ウィキペディアによると
「任侠(にんきょう)とは、本来仁義を重んじ、困っていたり苦しんでいたりする人を見ると放っておけず、彼らを助けるために体を張る自己犠牲的精神をさす語。仁侠(じんきょう)、義侠心(ぎきょうしん)、侠気(きょうき)、男気(おとこぎ)などともいう」
と記されている。
古くは支那において、特に義理の高い信陵君を慕っていた劉邦は任侠の徒から皇帝にまで出世した。この任侠らを題材にしたのが『史記』の「遊侠列伝」である。
なお、『史記』「遊侠列伝」の著者である司馬遷は「『仁侠』の志を知らずに彼らをヤクザやチンピラなどと勘違いして馬鹿にするが、それは悲しいことだ」と述べている。
近代日本においては、任侠は心のヒーローとして育っている。
実際にアイドルスターを主人公に、テレビドラマ「ごくせん」「任侠ヘルパー」がヒットしている。

小説家・峰隆一郎の著書「宮本武蔵」の中に武蔵と博徒の会話がある。
「宮本さんはやくざというのをご存知ですか」
「博徒と聞いているが」
「三枚の博奕(はなふだ)というのがあります。八、九、三と三枚い揃えば、加えて二十になります。<中略>全く価値がありません。約立たずの男たちと、これがやくざのはじまりと」
「なるほど」
「ところがこれは大嘘なのでございます」
「嘘か」
「やくざはみな神徒です。つまり神道派、仏教派とは逆の立場にいます。わたしたちは古代から神徒でした。仏教がこの国に入ってくる前からです。この国の原住民はみな神徒です。わたしたちは神に仕えました。各地に神社があります。 <以下略>」
「なるほど」
<中略>
「われわれ神徒は神社に属しています。そして役座という役目をいただきます。」
「役座か」
「神社の神官の用をたすものたちです。ですからいまでも、神社のお祭りのときには、境内に賭場を開く権利を与えられますし、また境内には夜店が出て、ものを売ります。このものをうる権利も与えられています。つまり香具師ですな。役座は香具師とやくざに分かれました。ですから八九三とたとえられては迷惑です。役立たずではありません」
「なるほど、知らなかった」
その後の話はこうだ。太閤は仏教徒で神徒は沈んだ。しかし、太閤亡き後、神徒の家康が神徒たち百万人の協力を得て関が原の合戦に勝利した。神徒の年貢は無用になり徳川の影の力になっているという物語である。
峰隆一郎の時代小説には、その後の役座が画かれている。
八代将軍吉宗の時代には賭場の禁止等多くの改革が進められたが、大岡越前は役座に十手を持たせ賭場には目を瞑り、二束草鞋を履かせた。香具師は全国を旅することを許し、各地の情報を得たという。

しかし、今日では神社の露天も許可されなくなっている。
今年の花見でさびしい思いをした人も多くいると思う。
大変、残念なことだ。日本の祭事は大きな危機を迎えている。

今回の条例である自治体では「任侠」関係の書籍を禁止するところも現れた。
理由はヤクザ「美化」するからだという。
そういう理由が広がればどうなるか?
幡随院長兵衛はテレビや映画では放映されなくなる。歌舞伎も駄目になる。
芝居や浪曲から消える任侠モノを忘れていいのだろうか。
清水次郎長伝・会津の小鉄・天保水滸伝・国定忠治・野狐三次・瞼の母・中乗り新三・
関の弥太っぺ・木津の勘助・人生劇場 etc
健さんもお竜姉さんも禁止。寅さんも再放送されない時代が来る。

決して暴力団を肯定するわけではない。
任侠という文化が奪われることを危惧しているのである。

子供たちに任侠を伝え教えることで「いじめ」も少なくなるのではないか。
強いものは弱いものを守る。日本の美学だ。

国民は暴排条例を理解しようとしていないし、知ろうともしてはいない。
マスコミも積極的ではない。

知らないうちにこの条例は一人歩きを始める。

我々は、もう一度暴力団排除条例について真剣に考える必要があるのではないか。
記事投稿者 中尾 直さん

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