日中歴史研究

目的無き、日中歴史共同研究
報道規制を強行! 中共政府

この共同研究は、誰のためにあるのか、さっぱりわからない。
事実関係を明確にし、中共の反日体制を打ち破ることは必要であるが、この研究はそうした姿勢がない。
また、その研究報告が中共政府の意に沿わない場合は、報道も規制する始末だ。
中共国内で、日中歴史共同研究について報道したNHKの海外向け放送の画面が真っ黒になり、数秒にわたって視聴できなくなった。
公表が見送られた戦後史に関連する天安門事件の映像を中共当局が遮断したためとみられる。
中共メディアは、「日中歴史共同研究委員会」が報告書を初めて発表したとのニュースを簡単に報じているが、
詳しい内容は一切伝えていない。研究内容が国内に波紋を広げ、政府批判につながることを警戒している模様だという。
日中両国の有識者による「日中歴史共同研究委員会」は一月末に報告書を公表した。
南京虐殺事件について、日中双方は虐殺行為に及んだ日本側に責任があるとの認識では一致したが、
犠牲者数を巡って中国側が「三十余万人」、日本側が「二十万人が上限」と主張するなど、
近代を中心に歴史認識の違いが改めて浮き彫りになった。
それでも、この内容はあまりにも中共よりだ。
報告書は「古代・中近世史」「近現代史」の各章で、日中双方の委員論文を掲載。
ただし、「天安門事件」などを含めた大東亜戦争後の現代史部分は、国内世論への影響を懸念する中共側の要請で非公表とされた。
委員会は今後、新メンバーで第2期の共同研究を行う予定だ。
時間と費用の無駄遣いである。
報告書で中共側は、南京虐殺事件について「極東国際軍事裁判で、日本国民は初めて日本軍による暴行の真相を知った」と批判。
同裁判と南京国防部軍事裁判所の判決などを基に「被害者数は延べ三十余万人」との従来の見解を示した。
これに対し、日本側は「二十万人を上限に四万人、二万人などさまざまな推計がなされている」と反論して、溝が埋まらず、
両論併記された。また日本側は、犠牲が拡大した「副次的要因」として「中国軍の南京防衛作戦の誤り」などを指摘し、
引き続き検証作業が必要との認識を示した。
盧溝橋事件では、中国側が「偶発性があるかもしれない」と、一部歩み寄る姿勢も示したが、
「歴史の推移からみれば、必然性も帯びている」と、日本の侵略計画が一貫していると批判した。
日本側は、紛争解決に努力したものの関東軍などに押し切られたとの認識を示した。

この研究会は、小泉首相の靖国神社参拝で日中関係が悪化したことから、平成十八、安倍晋三首相と胡錦濤国家主席が首脳会談で合意、
同年十二月に始まった。日中各十人の有識者で研究委員会を構成。報告書は、近現代史の戦後部分を除いた五百四十九ページが公表された。外務省ホームページでも閲覧できる。
公表された初の日中歴史共同研究報告書は、中共側の強い要請で戦後史部分が非公表となり、
両国の歴史認識の溝を埋めるために始めた事業の限界と複雑さを露呈する結果となった。
報道によると、一方で、中共側の論文には、中国共産党の役割を軸とする革命史観から脱却して実証主義的に記述する試みもみられ、
宣伝色の強かった歴史研究の変化の兆しもみられたという。
研究成果は当初、日中平和友好条約締結三十周年に当たる平成二十年中の発表を目指したが、1年以上遅れた。
ある日本側研究者は「現代史部分の認識の差が原因。天安門事件の評価など、共産党指導部の正当性を揺るがす問題に触れることを
中共側が恐れた」と指摘する。
論文執筆過程の討議要旨の公表も見送られた。再三の合意不履行は、歴史研究を「愛国教育」の重要な柱と位置づける
中共政府が委員に圧力をかけているとの見方も出ている。
両国は第二期共同研究として継続することで一致したが、両国の国内世論が今回の報告内容をどう受け取るかは未知数だという。
日中外交当局者は「継続には双方の国民感情の安定が不可欠」と指摘する。
中共国内の対日世論は、共同研究のきっかけとなった反日デモ当時よりは好転している。
だが、国内に遺族が生存する南京虐殺事件で日本に譲歩したと受け取られかねない記述は不可能だ。
南京虐殺については、犠牲者数の根拠だけでなく、虐殺や強姦(ごうかん)、略奪の実態を詳細に描いた。
細菌戦を展開した731部隊について簡単に触れた程度なのとは対照的で、日本国内に虐殺自体を否定する意見が
存在することを念頭に置いたものとみられる。
中共側の革命史観にとらわれない記述で注目されるのは、抗日戦争での共産党と国民党との関係性だ。
「国共両党の間にいろいろ摩擦が起きているが、両党が協力して日本に抗戦する大局は一貫して変わらなかった」と記述した。
中共では中台関係改善の流れを受け、抗日戦争での国民党の役割を見直す動きが進んでいる。
報告書は、国民党が中国を代表して行った列強との交渉や当時の国際情勢にも多くの紙幅を割き、
日中戦争をより広い視野からとらえている。
日本の敗戦についても「歴史の転換点」と指摘し、「平和発展の道を歩み出した」と評価した。
これは日本の「軍国主義化」を警戒する中共の若者を中心とした「愛国世論」とは異なっている。
だが、こうした歴史研究は国内で論議を呼ぶ可能性もあり、革命史観に基づく歴史教科書や大衆向けドラマに反映されるには、
相当な時間がかかりそうだとされている。
チャイナスクールの存在も反日的だが、中共に媚を売るような研究会など必要ではない。
現政権が中共よりであることから、日本がますます悪者にされることを懸念する。

参考資料
日中歴史研究報告書のポイント

日中歴史共同研究報告書の近現代史に関する記述のポイントは次の通り。
【日清戦争(1894~95年)以降】
日本=近代の日中関係史において日清戦争は一つの転換点。日本が有利な不平等条約体制が形成され、日本国内でも中国を蔑視(べっし)する傾向が生まれたことなど、それ以前とは異なる傾向が顕著に見られた。
中国=日本の拡張行為はやむことなく持続して中国人の抗日意識を激化させ、日本軍政決定者に、したい放題の横暴な心理を作り出した。
【田中上奏文(1927年)】
日本=対中政策を協議した東方会議に関連して「田中上奏文」と呼ばれる怪文書がある。これは田中義一首相が昭和天皇に上奏したとされるもので、中国への侵略計画だった。だが「田中上奏文」は、実際の東方会議と大きく離反していた。
中国=真偽に関して学界で多くの議論があったが、いかに作られたかについて不明な部分がある。だが、その後の日本の拡張路線はまさしくこの文書に書かれたようになった。
【柳条湖事件(31年)】
日本=関東軍の作戦参謀・石原莞爾らを首謀者とする謀略によるものであった。武力発動は政府や陸軍指導部の基本方針に反する行動として開始された。急進的な軍人たちは、謀略によって日中間の衝突事件を引き起こし、満州の「危機」を一挙に打開しようとした。
中国=関東軍が中国東北地区を侵略するため発動した九一八事変(満州事変)は、日本が実施した「満蒙(満州・蒙古)政策」の必然の産物。30年からの世界経済危機と国内の政治・社会危機の影響の下、日本は「満蒙危機」を騒ぎ立て、関東軍と軍部はそれぞれ東北地区を武力で侵攻・占領する計画を制定した。
【日中全面戦争(37~45年)】
日本=戦闘は8年を越え、宣戦布告による戦争以上に熾烈なものとなり、両国国民に大きな負担と犠牲を強いた。特に戦場となった中共に深い傷を残したが、その原因の大半は日本側が作り出したものと言わなければならない。
盧溝橋における最初の発砲事件は「偶発的」であり、現地では局地的解決の努力がなされた。しかし、衝突事件を好機とみなした支那駐屯軍(後の北支那方面軍)や関東軍は、蒋介石政権の打倒と華北占領という構想を実行していく。
中共=盧溝橋事件の発生は、かなり大きな程度、日本の中国侵略政策と関係している。事件は非常に速い展開で日本による全面的な対中共侵略戦争につながったが、歴史的変化のプロセスを見ると、盧溝橋事件は必然的に起きたものと言える。
【南京虐殺事件(37年)】
日本=日本軍による捕虜、敗残兵、便衣兵および一部の市民に対する集団的、個別的な虐殺事件が発生し、強姦(ごうかん)、略奪や放火も頻発した。日本軍による虐殺者数は、極東国際軍事裁判(東京裁判)における判決では20万人以上(松井石根司令官に対する判決文では10万人以上)、47年の南京戦犯裁判軍事法廷では30万人以上とされ、中共の見解は後者に依拠している。
一方、日本側の研究では20万人を上限として、4万人、2万人などさまざまな推計がなされている。犠牲者数に諸説がある背景には、「虐殺」の定義、対象となる地域・期間、埋葬記録、人口統計などの資料に対する検証の相違が存在する。
中共=日本軍の南京での放火、殺人、強姦、略奪は国際法の重大な違反であり、第2次大戦後、連合国は東京と南京でそれぞれ軍事法廷を開き、南京大虐殺に対する審判を行った。
東京裁判の判決書は、「占領後の最初の1カ月で南京市内では2万件近い強姦事件が発生した」「日本軍隊占領後最初の6週間以内に、市内と付近で虐殺された市民と捕虜は計20万人を超えた」と認定した。南京戦犯裁判軍事法廷は「被害者は総数30万人余りに上る」と認定した。
【中国人犠牲者数】
日本=国民政府軍の死者は約132万人、負傷者180万人に上っている。中国共産党軍の死傷者(失跡者を含む)は58万人を超えると推定される。非戦闘員の犠牲の多さや日本軍によるさまざまな「非違行為」は、戦後の日中両国民の中に、新しい関係構築を妨げる深い傷跡を残した。
中共=不完全な統計によると、中国軍人・民衆の死傷者は3500万人以上、直接的な経済損失は1000億ドル以上、間接的な経済損失は5000億ドル以上に上った。関東軍731部隊や100部隊は、中国人を使った人体実験、生体解剖も実施した。(2010/01/31-17:18)

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