落語
落語の起源については諸説がありますが、一般的には室町時代以降、大名の話し相手をつとめた御伽衆(おとぎしゅう)の話に原点をもとめています。
江戸時代初期には、御伽衆の笑いばなしを書きとめた本として「 戯言養気(ぎげんようき)集 」「 きのふはけふの物語 」「 醒睡笑(せいすいしょう) 」などが人気を集め、笑いばなしに対する関心がしだいに一般庶民にひろがりはじめました。
やがて「 辻噺(つじばなし) 」が出現して、新たな展開をみせ始めます。これは河原や寺社の境内、広小路などで道ゆく人の足をとめて話芸を披露し、はなしが佳境に入ったところで銭を集めるという大道芸でした。これが職業落語家の起源だと言われています。
江戸時代中期にはそれが屋内にはいって、料理屋などで自作のはなしを自分で演じる「 咄の会 」が流行し、さらに、常打ちの興行場として寄席が生まれました。これと呼応して、山生亭花楽 (のちの可楽)や、大坂の初代桂文治も興行を打ち、寄席を隆盛させながら多くの門人をそだてていくようになりました。
大衆の人気を獲得した寄席は、天保の改革による弾圧をうけて一時は衰退しますが、明治になると急増する都会人の支持をうけて、ふたたび活況を呈しはじめました。なかでも三遊亭円朝は、人情噺や怪談噺に名人芸を発揮し、落語の質を飛躍的に高めました。
しかしその後、東京落語界は、本格的な話芸は衰退の危機に瀕します。そこで初代三遊亭円左らは、正統派といわれる落語をまもるために第1次落語研究会を結成。明治末から大正初めにかけては、東京の寄席も黄金期を迎えるようになります。
その後は活動写真などの影響で落語は逆風にさらされますが、英語入りナンセンスばなしなどで人気を保ち、昭和初期には、兵隊ものなどが流行りました。
戦後になると、落語はテレビの普及によって全国的に人気を博し、落語家の芸も、電波にのって人気をあつめるようになり、多士済々のにぎわいをみせるようになります。