ポツダム宣言の真実 誤った無条件降伏説
昭和十六年十二月八日、大東亜戦争が始まった。日本が戦争に踏み切った動機は国民の多くには知らされてはいない。
大東亜戦争突入は、米国の情報謀略「ハル・ノート」から始まったのである。そして、迎えた終戦。
ポツダム宣言は日本に対し、「カイロ宣言」の履行と、それに先だって日本軍隊の降伏条件を列挙したものだ。
日本がそれを受諾して降伏したということで、決して「無条件降伏」したのではない。
ポツダム宣言の受諾は無条件降伏というのは「誤り」である。誰が何時、そのような情報操作を始めたか?
残された文献を調べ、真実を知るべきである。
国民よ!真実を知れ!
ポツダム宣言、北方領土問題、靖国神社参拝問題、全ては歪んだマスコミの報道が日本の国民をいつの間にか情報操作してきた。
その一因となっているのは政府自民党の五十五年体制にもある。密室の会談が政治を操り、当時第一野党であった社会党とも陰で談合する。こうした事実が今になって明らかになってきたのだが、ポツダム宣言や北方領土の問題は公式文書を閲覧すればすぐに真実が判明する。
皮肉にも情報政策を米国より推奨され、今ではIT社会とますます米国に洗脳されているが、その中心のインターネットで何千件というポツダムやハル・ノートの資料が取り出せるのである。インターネットを普及させてくれた米国には、ぜひお礼を言いたいものだ。
インターネットでの情報のほとんどは、大東亜戦争は米国の情報戦略の謀略であったと記されている。だから、日本人は、特に若者には歴史を学んでほしいと願う。
昭和二十年七月二十六日、対日戦遂行中の米・英・中の三国首脳が「ポツダム宣言」を発表し、日本にこれを受諾して降伏するように迫ってきた。この宣言はカイロ宣言の履行とその他の降伏条件を列挙したものである。同年八月十四日、日本はポツダム宣言を受諾。
それが、日本は無条件降伏したと一般的に信じられた。
米国的原爆投下の理由
ポツダム宣言を読めば、その内容からすれば無条件降伏とは日本軍に当てられたものであって、日本国の無条件降伏ではない。それが、一般的には無条件降伏と信じられ内外の多くの教科書や解説書でさえそのように記載されていることは、歴史を歪めているとしか思えない。歴史を正しく認識する上の妨げになっている。
「吾等の条件は左のごとし。吾等は右条件より離脱することなかるべし。右に代わる条件存在せず。吾等は遅延を認め得るを得ず」
この文面で日本国の有条件降伏は明確である。
このポツダム宣言の三項に米国の陰謀が隠されていた。日本を早く降伏させるための威嚇である。
「吾等の軍事力最高度の使用は、日本国軍隊不可避且完全な壊滅を意味すべく、また同様必然的に日本国土の完全なる破壊を意味すべし」
米国は原子爆弾の使用を仄めかしていたのである。しかし、当時の日本において米国が原子爆弾を使用するなど想像もつかなかったことだろう。
また、米国軍部内であっても原爆投下については全く必要のないとの意見もあったが、トルーマン大統領はこれらの意見を無視し実行に移した。
ポツダム宣言は、彼にとって、米国にとっても原子爆弾投下の大義名分の宣言書であったのだ。