暴排条例への大きな疑問
慶大教授で弁護士の小林節氏が、大阪日日新聞で暴排条例に対する疑問を述べている。
警察の指導で全国一律に同じ条例を制定するなら、なぜ「国会」でひとつ「法律」を制定しなかったのか不可解である。と、さらに
これは犯罪事実の存在を前提に国民の自由を制限しようとする権力発動の問題である以上、人権問題であり、それは堂々と法律により根拠づけられるべきが、報知主義の原則であろう。
それを、きちんとした議論も経ずに都道府県議会で通してしまった立法の手法には疑問を禁じ得ない。
小林氏の疑問は当然である。氏のような法律家や田原総一郎氏・西部邁(評論家)・宮崎学(作家)・大谷昭宏(ジャーナリスト)・須田慎一郎(ジャーナリスト)等著名な人たちが疑問を持ち、条例の反対を表明している。
法案を通した議会は偽善者の集まりだ。
中には暴力団と親しい者もいただろうし、親戚や同窓生の中にいるかもしれない。しかし、偽善者たちは反対することを恐れたのである。左翼議員達も暴力団の人権には無関心を装っている。本当は、これが正しい法律だと確信はしていないと思う。
ただ、自分が反対したときの影響を考えたのである。
私たちは、このような正義感のない議員を選出したのである。
かってのドイツナチスの行ってきたことと同様のことをしようとしている。
ユダヤ人は悪。暴力団も悪。だから、排除しても良いと・・・
小林氏は、暴力団に対してすでに刑法等の既存の法令で規制が可能であり、現にたくさんの摘発事例があった。にもかかわらず、今回新たに条例が整備された以上、その目的は別にあると考えられる。と・・・
小林氏は、私たちは一方的に暴力団と呼んでしまっているが、実はこれは「任侠」団体と呼ぶべきものであろう。日本の歴史の中から生まれた、(正しくても)弱い(ために損を強いられている)者を助け、強い(が故に傲慢で他社を卑しめる)者をくじき、義のためなには命も金も惜しまない・・・主義者の結社である。
今回の条例は、社会が交際を絶つこと(つまり「村八分」、これは共同絶対と言う不当行為であるが・・・)により、その存在すら許さない方向性を示している。
清水次郎長のように自然発生的に生まれた団体である。
この条例が過激な規制であるまいか、という観点を述べている。
団体名も所属する者の名前も明らかなのは、彼らが任侠団体と言う自負からである。
それよりも、マフィア化している外国人犯罪者の排除の方が先決ではないだろうか。
暴力団を排除することにより、仁義無き外国人犯罪者が暗躍するのは明らかである。
警察は本当に犯罪を撲滅しようとしているのか。
地下に潜った外国人犯罪者を取り締まるのは困難なことであろう。
一人で夜道を歩けない時代がやってくる。
週刊金曜日の排除条例に対する対談で、元日本共産党参議院議員の筆坂秀世氏が次のように語っている。
「暴力団っていえば悪そうだが、ヤクザっていえばどうか。仁侠映画なんて少し前まで大人気だった。男の中の男だといって、みんな憧れていたんだから」
「これは治安維持法に近いんじゃないですか。ある思想を持っていれば、何も罪を犯していなくても捕まる。憲法は絶対認めない法体系だけど、条例はそれに近い点がある。市民にしても暴力団は悪いというお題目に乗ってしまっている。」
元共産党の筆坂氏も任侠に憧れていた。
そして、絶えず警察にマークされる条例の怖さも知っている。
彼だから言える現実だ。