焼肉や店主の主張 其の二十七

「国家百年の計は、教育にあり」という言葉が在る様に成果として実を結ぶのには、相当の時間を要します。
教育の在り方は、国民一人一人の生き方や幸せに直結するとともに、国や社会の発展の基礎を作る重要な問題で、未来を担う子供達に中国や韓国の様な虚構の歴史教育ではなく、日本国の正しい歴史を教え、自国に誇りを持てる国造りをしなければなりません。
そして、古来より育んで来た日本人の美徳である、自身を律する、恥じる事を知る若者を育てる為にも、面従腹背(従っているふりをする)が、座右の銘と嘯く共産主義者の利己的で、傲慢な前川喜平元事務次官に代表される文科省の改革が急がれます。
安倍前首相が、熱心に取り組んだテーマの一つ「教育」で、政府に「教育再生実行会議」を設置し、さまざまな政策を実行していました。
前川さんは、「国家中心主義」の手段として政権は、「教育勅語」を復活させようとしたと非難するのですが、正式には、「教育に関する勅語」です。
左派の人達に非難される教育勅語の概要と目的は、どの様なものだったのでしょうか。
それは、戦前、国民道徳の基本原理とされていた教育勅語は、戦時中は、軍国主義の教典として利用され、終戦後の1948年6月に廃止された近代日本の道徳教育における最高規範とされていたものです。
1868年の明治維新から1889年に大日本帝国憲法が施行され、日本が近代国家としての体裁を急速に整えていった時期で、形式的には、明治天皇から内閣総理大臣の山県有朋と文部大臣の芳川顕正に対して下された勅語ですが、実際に起草したのは、法制局長官や文部大臣を歴任した井上毅や儒学者の元田永孚らです。
全文315文字の短い文章ながら、天皇を国父とする家族国家観による愛国主義と、儒教的道徳を基本とする教育の根本が込められていて、支柱となってきました。
特に戦時中は、天皇陛下の御真影とあわせて神聖視されて、1938年に国家総動員法が制定されると本来の趣旨や目的から外され、軍国主義を正当化する経典として利用される様になります。
大東亜戦争(太平洋戦争)が終結すると、占領国のG.H.Qは、教育勅語を国家神道の「聖書」とみなして、排除しようとします。
その後は、「教育基本法」が定められた主権在民を基礎とする「日本国憲法」が施行され、衆参両院で「教育勅語」の失効が確認され、廃止となりました。
昨今では、軍国主義の正当化に利用された歴史などから、学校教育の中で教育勅語を活用する事に対して、否定的な意見が主流です。
マイナスイメージが強い教育勅語ですが、具体的にどのような事が書かれているのか知っている方は、少ないと思うので、「12の徳目」について紹介します。

  1. (孝行)親孝行をしましょう
  2. (友愛)兄弟、姉妹は仲良くしましょう
  3. (夫婦の和)夫婦は仲良くしましょう
  4. (朋友の信)友達は互いに信じ合って付き合いましょう
  5. (謙遜)言動を慎みましょう
  6. (博愛)広く全ての人に愛の手を差し伸べましょう
  7. (修業習業)勉学に励み、手に職を付けましょう
  8. (知能啓発)智徳を養い、自分の才能を伸ばす事に努めましょう
  9. (徳器成就)人格の向上に努めましょう
  10. (公益世務)世の中の人々や社会の為になる仕事に励みましょう
  11. (遵法)法律や規則を守り、社会秩序を守りましょう
  12. (義勇)正しい勇気を持って、国の為に真心を尽くしましょう

「12の徳目」は、儒教的な道徳に基づいていて、古くから日本に根付いていた考え方で、現代の私達から見ても違和感のない内容だと思うのですが、何故、廃止されてしまったのか歴史を振り返って見ると理由が見えてきます。
米国は、日本との戦いは、数ヶ月で終わると予想していたのですが、予想を大きく上回る3年8ヶ月という長期戦となった事から、戦後、日本を統治したG.H.Qの最大の使命は、「日本が再び米国の脅威にならないようにする」事でした。
当時の日本は、明治維新で封建制を転換し、急速に近代化を遂げて、1905年の日露戦争、更に第一次世界大戦を経て、世界五大国に名を連ねる程の存在になっていました。
米国は、日本人の国民性の高さこそが、日本のの強さの秘訣で、その根源にあるのが教育勅語とそれに基づいた教育であると発布目的を明確に分析し、結論付けたのです。
日本は、1854年の黒船来航により、鎖国が解かれると欧米諸国との国力の差を痛感し、とにかく西洋の物を真似し、取り入れようとする人々と英語を公用語にしようとする状態に危機感を抱いた明治天皇は、闇雲に西洋化する風潮を押し止め、日本古来の考え方を教育の基礎とする様に起草を命じて、技術では西洋の進んだ知識を取り入れつつ、精神面では、日本人である事を失わない「和魂洋才」を目指しました。
この様な背景があって、教育勅語が作られたのですが、内容や目的は、現代にも通じるものなのに「是」と評価する人は、少数です。
問題があるとする人の多くは、「12の徳目」の12番目の(義勇)を問題視していて、「国が危うい時は、天皇の国の為に戦いましょう」と訳して、戦争を想起させ、軍国主義の復活に繋がると教育現場の使用に反対しています。
原文では、「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」と記されていますが、現在は、天皇陛下から国民に主権が移っていて、憲法上も日本国の象徴として位置付けられている事からも、天皇陛下の部分は、国及び国民に置き換えて解読するのが正しいと思います。
又、「扶翼スヘシ」を「戦う」とする事に付いても戦時中は、「国家総動員法」を正当化する根拠としていましたが、「扶翼」のもつ本来の意味は、「助ける、手伝う」という事です。
以上の事から、12番目の徳目を現代風に解釈すると「非常事態には、勇気を出して奮って国(国民)を助けましょう」となります。
例えば、災害などが起きた際に多くのボランティアが駆け付ける事や、被害者を助ける事などは、まさにこの条項体現しているといえます。
教育勅語の作成にあたって、起草者の井上毅氏が掲げた七つの条件がありました。
それは、

  1. 天皇と政治を切り離す事
  2. 信仰の自由を妨げない事
  3. 哲学上の理論に触れない事
  4. 政治的な思惑を排除する事
  5. 不偏不党の教育方針を示す事
  6. 消極的な言葉を使わない事
  7. 宗派の争いを助長しない事

で、これらの条件に基付いて作られた教育勅語は、天皇陛下の御言葉でありながら、国民に押し付けるものではなく、宗教や政治に拘らず、誰でも受け入れられる内容となっています。
西洋文明の急速な流入と、急激な近代文化の中で、蔑ろにされつつある日本人らしさの伝統的価値観を守ろうと、教育勅語が作られたのですが、周知の通り、G.H.Qによって廃止に追い込まれた教育勅語は、危険思想だと、国力、絆を削ぐ為にレッテルが貼られたのです。
終戦後、刑務所から解放された共産主義者達は、G.H.Qを「解放軍」と呼んで公職追放令により追放された20万人の保守の人々に変わり共産国建国を目指し、日本を侵蝕して行ったのです。
東西冷戦を受けて、日本の共産国家化を避けたい米国は、反共防波堤とすべく、レッドパージに政策転換し、共産主義者の排除に動くのですが、政界や教育界の共産主義者の排除には至らなかった事が、戦後の大きな禍根となり、現在の自分勝手な個人主義者を量産させ、道徳観が欠如した連帯感を持たない利己主義者(リベラル左翼)が跋扈する様になりました。
良くも悪くも日本人の純粋無垢な所が仇となってしまったとは言え、危険なのは、教育勅語ではなく、「思想統制」で共産主義のお家芸です。
中国のウィグル、チベット、香港の人権弾圧に内モンゴルへのモンゴル語の禁止などを見れば一目瞭然なのに、日本のリベラルを名乗る政党や共産党は、中国を批判する発言や活動をしません。
やはり、巷で言われている様に中国から資金援助を受けている同じ穴のむじなの類なのでしょうか。
リベラル政党は、天皇陛下の存在を肯定しながら、お言葉を危険だとするのは、明らかに矛盾しています。
問題のある学術会議の科学者と呼べない左翼活動家の人文係の会員6人を拒否した事を問題にして、不毛な国会論争を仕掛けるリベラル野党には、只呆れるだけです。共産党に牛耳られてきた学術会議や8月6日のアサヒ芸能の記事で、教科書調査官の北朝鮮スパイ疑惑など日本教育は、共産主義者に着実に蝕まれています。最後にもう一度「国家百年の計は、教育にあり」と申し上げて終わります。

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