北方領土の現状 二

北方領土交流の現状

終戦の三日後、八月十八日ソ連軍は北方四島に踏み込み、ドサクサにまぎれて今日まで半世紀に渡って居座り続けている。
現在北方四島とは「ビザなし交流」と言われる形態で渡航できるようになった。自由渡航できるのはいつ来るのだろうか。

日本人が北方領土に渡ることができるようになったのは戦後十九年経った昭和三十九年。外国に渡航するためにはビザ(入国許可証)が必要であるが、日本政府としては自国領へ行くのにビザを取得する訳にはいかず、一方のロシアも、北方四島が自国領土だと主張する根拠に欠ける事を認識してか、旧島民の墓参りに関してのみ、ロシアのビザを必要とせず、日本の外務大臣の発行する身分証明書だけで渡航出来るとの話が両国間でできている。しかしこれはいわゆるビザなし交流ではなく、あくまでも人道的見地から墓参りに関してのみの渡航であった。

しかし昭和五十一年旧ソ連外務省は突如として「墓参団はパスポートとビザを取得する事が不可欠」と通告してきた。実質的な墓参り中止通告だ。これにより北方領土はソ連のものと主張した事になる。

しかし、墓参りが中止されて十年の時を経て、日ソ関係は変わる。昭和六十一年、ゴルバチョフ書記長体制時に墓参りに関する口上書きが交され、従来通りの墓参りが復活。そしてソ連崩壊前の平成三年にはゴルバチョフ大統領が来日し、日本人及び四島在住のソ連人との交流を深めるべく、「簡素化されたビザなしの枠組の設定」と提案し、両国民が一定条件と期間の元、パスポートもビザもなしで往来できるよう合意がまとまった。これが、「ビザなし交流」と言われ、今日まで続く交流形態だ。

現在この枠組みの中で、旧島民のみならず北方領土返還運動の推進者、報道関係者をはじめ各方面の専門家らも四島に渡航できるようになった。そして、エリツィン大統領時代の平成十一年には、旧島民であれば墓参りだけでなく昔の住所をたどって散策できる「自由訪問」もできるようになった。
現在のところ、北方四島に行くには、この墓参り、ビザなし交流、自由訪問の三つの方法しかない。

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