日本人が知っておきたい戦争の真実パート2

 5月12日に訪日したイスラエルのネタニヤフ首相に対して安倍首相は、「両国の友情は、杉原千畝の『命のビザ』でイスラエルの数千人もの命を救ったことにさかのぼる」と述べた。
それが、昭和十五年(1940)ナチスドイツの迫害から逃げてきたユダヤ難民を六千人以上の命を救うビザを発給した外交官杉原千敏。
この杉原氏の行ったことは、杉原氏個人の転機や勇気が必要であったことは確かだが、そもそも、同盟国ドイツからの圧力があったにもかかわらず、「民族差別はしない」という八紘一宇(はっこういちう)の主張を守り抜いた日本政府の方針でもあった。
 八紘一宇(はっこういちう)とは、すなわち「八つの方位」「天地を結ぶ八本の綱」を意味する語であり、これが転じて「世界」を意味する語として解釈されている。
また、「一宇」は「一つ」の「家の屋根」を意味しており、まさに「世界は一つの屋根の下で人種による差別のない平和であること」を意味する。
 我が国は、大正八(1919)年、第1次世界大戦後のパリ講和会議国際連盟規約委員会の最終日、連盟規約の前文中に「国家平等の原則と国民の公正な処遇を約す」という一節を挿入することを提案した。
この再度の提案は多くの国の支持を得て、出席していた十六名の委員のうち、仏国・伊国を含む十一名が賛成したため、賛成多数で可決されると日本全権団は確信していた。
ところが議長であったウィルソン米国大統領は、この案に反対した。それまでのすべての議題が多数決で採決されていたにも関わらず、突如『重要事項の決定は全員一致、少なくとも反対なしであることを必要とする』という原則を持ち出し、日本の再提案を不採択としたのである。
こうして人種差別撤廃は葬り去られたのだ。
 昭和十三年三月のこと。ナチスから逃れてシベリアを横断したものの、ソ連と満州国境のオトポール駅で立ち往生して凍死の危機にあったユダヤ難民を救ったのは、当時関東軍の樋口秀一郎少将だ。(後の占守島の戦いでは陸軍中将)
 樋口は、かつてポーランド公使付武官であり、その時に多くの人種差別を受けたことと、ユダヤ人によくしてもらったこと、そして、ユダヤ人から「日本の天皇こそ、われらの待望するメシアでないかと思う。
なぜなら、日本人ほど人種的偏見のない民族はなく、日本天皇はまたその国内において階級的に何等の偏見も持たぬと聞いているからだ。」という言葉を聞いていたことも彼を動かした原動力になった.。                                                       樋口秀一郎   ウィキペディアより
 樋口はユダヤ難民救済のために、満鉄総裁の松岡洋右に難民輸送列車の手配を依頼しました。
松岡総裁はユダヤ難民を無賃で輸送するように指示した。
このことで、ナチスドイツから抗議があり、樋口少将は当時関東軍参謀長であった東條英機から事情聴取を受けたが、東條参謀長は樋口の意見に賛同してナチスの抗議を無視。
その後も輸送は続けられたことから、ユダヤ難民は同じルートで避難してきた。
 樋口少将の補佐を務め、満州におけるユダヤ難民保護の方針を策定したのは、安江仙弘大佐。安江は板垣征四郎陸軍大臣に意見したことから、これに共感した板垣陸軍大臣は、同年(1928年)十二月、首相、外相、蔵相、陸相、海相による五相会議で提案し「猶太人対策要綱」が策定され、ユダヤ人を排斥しないことが正式に日本の国策となった。
 板垣征四郎陸軍大臣は、満州事変の首謀者ということで、東京裁判では東条英機と同様にA級戦犯として処刑された人物だ。
松岡洋右、板垣征四郎、東条英機というA級戦犯として処刑された彼らこそが、極めて多くのユダヤ難民を救済した功績を持つ。
 満州を通過したユダヤ難民は、当時ビザなしで入ることができた上海の共同租界で日本海軍軍備地区の虹口地区に入り、最大で三万人のユダヤ難民を受け入れた。
東條英機  ウィキペディアより          海軍のユダヤ専門家であった犬塚惟重大佐は、ユダヤ人保護に奔走。
犬塚は、後に白露系ユダヤ・アシュケナージ教会名誉会長のブロッホから「名前をゴールデンブック」に載せたいとの要請を受けたのだが、犬塚は「ユダヤ難民を助け東亜のユダヤ民族の平和と安全を守る工作は、犬塚個人の判断ではなく、天皇陛下の万人へのご慈悲にしたがって動いただけです」と遺している。
 このユダヤ人支援の国策は、その後の天皇陛下と日本の命運を握る重大な分岐点だ。
もし、日本が少しでもナチスのホロコーストに加担していたならば、アメリカへの影響力が高まりつつあったユダヤ資本を背景に、ユダヤ人は天皇陛下の処罰を求めてアメリカ世論に訴え、天皇陛下はA級戦犯として訴追されただろう。 戦後、日本のメディアは、杉原千敏ばかりを取り上げているのだが、この杉原千畝の『命のビザ』を発行する2年前には、A級戦犯として処刑された松岡洋右、板垣征四郎、東条英機彼らこそが、多くのユダヤ難民を救済し伝えなければならない事実なのだ。
しかし、戦後連合国や欧米の報道機関は、この事に全く触れようとしていない。
先の戦争を侵略戦争として「糾弾」したいが為にこういった事実を一切封印しているのが現実の世界である。
逆にこれを抹消しようとしているのだ。
一人でも多くの日本人が、この素晴らしい日本精神を知るべきだ。
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