〜新たな潮流のうねり〜

田母神氏、六十一万票の威力

 先の都知事選に於いて、田母神候補が六十一万票を獲得した。
特定の支持団体も資金力もなく全てのものを、その支持ボランティアによる草の根の選挙運動だったのだ。
マスコミは、その田母神氏の出馬を多寡を括ったのか、それとも同氏の思想信条を忖度し意識的にかは、分からぬが完全に無視したことは隠れもない事実だ。
あたかも、自民党を裏切った舛添や、とうに枯れてしまった細川を二強対決と称し、原発か反原発かに棲み分けをし世論誘導を行ったのである。
候補者の中で、田母神氏や宇都宮氏がネットや出口調査である程度の支持を得ていると知るや、今度は、都知事選の行方やその選挙戦の様子等を殆ど報じないという策を弄したのだ。
 有権者は、どういう人達が立候補しているのかさえ知らぬ者も、特に年寄りに多かったようだ。
これでは、原発をある程度容認している舛添と、小泉が推す反原発の細川という二人構図になってしまう。

新聞・テレビというマスコミの凋落が始まる

 しかしである、共産党・社民党が支持する宇都宮候補は別として、田母神氏のネットでの支持85%には、幾ら無視を決め込んだマスコミ各社もさぞかし度肝を抜かれたに違いない。
ネットの世界では、マスコミが得意の世論操作をすればするほど、薄汚い魂胆を見抜かれるのだ。
口には出さぬが、今回ほどそのことを思い知ったに違いない。
一日中、テレビ漬けになっている年寄り達は騙せてもネットを操る若者達は、そのようなものに騙される事はない。
支那や南朝鮮の側に立って、この日本を貶めているという事は今の若者にとってはとうにお見通しなのだ。
小泉もマスコミが大騒ぎをし、もう一度一大旋風を巻き起こせるとでも勘違いしたのだろう。
愚かな老人としか言いようがない。

自民党の脆弱な体質と語るに落ちた幹部達

 保守を自認する自民党が、なぜ舛添を推したのか。田母神氏に投票した六十一万人は、このことに怒ったのだ。
今の自民党は、民主党と同じ通った道を歩もうとしている。
なぜ歴史を顧みようとしないのか、それとも見る力も今の幹部達には欠けているのかもしれない。
現在、自民党の支持率が良いのは、ただ一重に安倍総理がいるからだ。
石破幹事長を始め、党の幹部や都連の議員達は、なぜその事に気づかないのか。
舛添を強く推したのは、創価学会・公明党であることは明らかだが、名護市長選の時もそうだが公明党に気遣うということは、天に唾するが如く現内閣にブーメランのように帰ってくるはずだ。
石破幹事長の人徳のなさは、既に知られているが、内閣と党が意思の疎通を欠いているとしか思えない。
安倍総理の意向は、推測ではあるが舛添ではなかった筈だ。
 ここに、田母神氏らが集う日本派の新しい潮流が生まれてきた事は、至極当然のことであり、ある意味ではこの日本にとってまさしく黎明といってよいだろう。
田母神氏に投票した二十代、三十代の若者達は五年後、十年後には社会の中の中心となるのだ。
 現在の自民党の議員達の八割は、殆ど国家観や歴史観のない似非保守の集まりである。
次に行われるであろう、衆議院選であれ参議院選であれ今まで自民党に投票した者の多くは、田母神氏を中心とした日本派に投票することとなる。
支那・南朝鮮又、アメリカに阿る自民党の議員達は必ずや淘汰されるだろう。
草の根の草莽を侮ってはならない。
明治維新もそこから派生したのだ。
歴史は、繰り返されるものだ。
マスコミや言論人そして、あさはかな政治家達は崖っぷちの権力に藻掻こうとするだろうが、最早手遅れである。

田母神氏を核とした日本派の結党を一日も早く望む

 幸いにも今、日本維新の会が揺れている。
維新の会には、平沼赳夫氏だけではなく若い議員の中にも日本派が少なからずいる。
恐らく、これらが統合されることは間違いないだろう。
そして、全国の草の根の一人一人が無私無欲でこれらを支えることは、明らかだ。
自民党も都議選で殆どといって良いほど名も知られていない中で、有効投票数の12.5%を田母神氏への支持があった事に対して、少なからず動揺があるだろう。
まして、公明党は自民との連立であるだけに、尚更だ。
安倍総理は、古狸に唆されない限り、新しく生まれるであろう日本派をとるにちがいないだろう。
小泉進次郎のような世間知らずの若造を叱責もできず、人気取りに走る石破幹事長を一日も早く更迭することだ。
そして、時を見て創価学会・公明党との連立を解消するのが、安倍内閣にとっての喫緊の課題といえよう。

 地球儀

カテゴリー: 地球儀, 最新投稿記事 パーマリンク