今年、二月十一日は紀元節であります。 私ども「糾す会」は、前倒しというかたちで九日の日曜日に同志等と共に名古屋駅前にて街頭演説会を開催しました。 前日の名古屋市にも雪が降り、一段と厳しい寒さではありましたが、神戸、大阪、福井、岐阜から演説のために来て戴いた、弁士の方々の熱い演説を駅前を通行していく人も熱心に聞き入っていました。 我が国は戦後、GHQの占領政策によって国家祭祀と重要な繋がりのある「祝祭日」を廃止されてしまいました。 しかし、熱意ある国民運動の成果により昭和四十二年、「建国記念の日」として再び「紀元節」を復活させる事が出来ました。 イエス・キリスト生誕の日である十二月二十五日(クリスマス)に、国民が挙って盛大に盛り上がりますが、自分たちの産まれ育った国の「肇国記念」を盛大に祝うことが出来ない民族は、世界広しと言えど我が日本だけてはないでしょうか。 我々は、こうした地道ではありますが、戦後、失った本来の日本のあるべき姿を取り戻すべく国民運動を続けていくものであると考えております。 しからば二月七日が「北方領土の日」とされていますが、これは、安政元年に江戸幕府と帝政露西亜が交わした「日露和親条約」の締結の日に因んで、日本政府が昭和五十六年に閣議了解によって決められたとされています。 従って、「日露和親条約」とは北方四島(歯舞・色丹・国後・択捉)と千島列島の間に境界線を引かれ、樺太を混住の地と決められ、それはあくまでも江戸幕府としての条約であり日本の政府としての条約ではありません。 日本政府として、露西亜との条約は明治八年五月七日に締結された「樺太・千島交換条約」(サンクトペテルブルク条約)であり、混住の地であった樺太の北側と千島列島を交換し、南樺太と全千島列島が日本に帰属しました。 更に言えば、ポーツマス会議に於いて交わされた「日ロ講和条約」によって、「露西亜は樺太の北緯50度以南の領土を永久に日本へ譲渡する。」としています。 従って我が国は、四島のみに固守する二月七日の「日露和親条約」ではなく、「樺太・千島交換条約」や「日ロ講和条約」を重視し、五月七日を真の「北方領土の日」とするべきであります。 他にこの日は、主に支那共産党や南朝鮮による日本の地位失墜工作を糾弾することが中心にほとんどの弁士が熱弁を奮い3時間程で終了。 今回参加された同志の方々には感謝申し上げます。 |