歴史認識について

 大行社 木川 智 寄稿

 過日、同血社会長・河原博史氏が、韓国で新たに開局するテレビ局「チヤンネルA」のインタビューを受けたのだが、私も河原氏の紹介で同日同局のインタビューを受けた。
内容は、いはゆる「日韓併合百年」を受けて、韓国が軍隊慰安婦の問題を国連の機関で取り上げ、あるいは竹島の領有を強化するべく施設を建設する計画を発表するなど、日韓関係が不安定な情勢となつてゐるが、日本の民族派はこれにどのやうな見解を持つか、といふものであつたが、特に私は軍隊慰安婦の問題について集中的に質問を受けた。
 具体的な質問の内容やそれへの私の応答の子細は差し置くとして、取材を受ける前は、何度と無く繰り返されてゐるこの問題に対する率直な思ひとして、韓国側の主張を肯ふことは出来ない、彼らこそ彼らがわが方にいふ「歴史の捏造」がある、といふものであつが、取材中、はたして韓国・韓国人が意図して歴史を「捏造」し「歪曲」してゐるかどうかは訝しく思ひはじめた。
さうといふのも、彼ら取材班の母国・韓国および彼ら韓国人は、時に歴史認識の問題について荒唐無稽な主張を繰り返すが、この取材にあつて彼らはこちらの見解に率直に耳を傾け、その態度も非常に真面目で礼儀正しいものであつたので、彼らの母国から漏れ伝はる荒唐無稽な主張と彼らの柔らかな物腰がどうにも結びつかなかつたからだ。
荒唐無稽な主張を意図して行つてゐるのであれば、こちらの見解を声を荒げて妨害することもあるだらう。いや、そもそも、こちらの見解を聞かうともしないはずだ。
さうだとすれば、彼らの主張は意図するものではなく、ただ漠然とさう信じてゐるだけのことであり、彼らは「歴史の捏造」を行つてゐるのではなく、「歴史の事実の不承知」があるだけではないだらうか。もつともつと議論を重ねれば、彼らの認識も変はつてくるのではないだらうか。
さう思つた私は、インタビュー終了後、彼らがしきりに神棚を指差し何事かを話してゐるのを見て、神棚には天照大神と氏神を祀るのが基本的なしきたりだと説明し、じつは日本統治下の韓国において、「朝鮮神宮」創建・鎮座にあたつて、どのやうな祭神を奉斎すべきか議論になつたとして、いはゆる「朝鮮神宮御祭神論争」の話をした。
 同論争において、政府・総督府側の天照大神と明治天皇を奉斎すべきとする主張と、神社界・神道人を中心とした朝鮮の国土神を奉斎すべきとする主張とで意見が分かれ、激しい議論となつたのだが、この事例を見るだけでも、日本の朝鮮政策がいはゆる「皇民化政策」などと一言で片付けられる単純なものでなかつたことが分かる。
それだけではなく、国土神奉斎論は神話を背景とした「日韓同祖論」にもとづく点もあり、それによつて朝鮮政策が植民地主義にもとづくのであれば反対と主張した戦前の民族派もあつた。
 歴史認識について荒唐無稽と思へる韓国側の主張に、「歴史の事実の不承知」があるのならば、かういつた事例を知つて欲しい、もつと日本の歴史を知つて欲しい、さうすれば必ず日韓関係は変はる、今日提起されてゐる問題も全く違つた様相を呈するだらうと伝へ、話を終へた。
 私は何も韓国・韓国人を無知だ何だと馬鹿にしたいわけではない。
かくいふ私ですら、「朝鮮神宮御祭神論争」に通暁してゐるわけではなく、同論争を自分なりに勉強したのもごく最近のことであり、「歴史の事実の不承知」あるいは「無知」は、自分自身に当てはまることだと思つてゐる。
そしてそれは、大多数の日本人にもいへることではなからうか。
 私は先輩に誘つていただき月に一度「太平記」の輪読会に参加してゐるが、同書が描く鎌倉幕府末期から建武の中興そして南北朝の動乱の時代について学ぶと、日本の歴史、就中、天皇の歴史について自分が全く無知であつたと恥ぢ入るばかりである。
同時に、現在の(特に否定的立場からの)天皇論があまりに平板であることに気づかされる。
 後醍醐天皇の建武の中興に加はつたものとして、楠木正成や仏僧・文観がゐたことは有名だが、その手の者として、南北朝の動乱以降に社会的な賎視の下に置かれる「非人」たちが活躍したといはれてゐる。
 現在の天皇論の一つに、被差別部落の問題と連関させ、天皇を差別の象徴や原因のやうに捉へる意見があり、一部の地域では学校教育でそのやうなことが公然と授業されてゐる事実もあるが、じつは建武の中興においては、後世において差別を受ける運命にあつたものたちが勇んで後醍醐天皇の下に駆けつけてゐたのだ。
そもそも彼らは、「聖」の象徴としての天皇に直接することによつて「聖なるもの」として社会的な地位を確保してゐたのであり、むしろ建武の中興の挫折と室町幕府の伸長によつて「聖」が「俗」に覆はれ、「聖なるもの」の彼らが迫害されるのである。
明治の御世において解放令が発せられたことも併せて、歴史を学べば学ぶほど、天皇が差別の象徴や原因であるなどとはいへず、事実はその逆であるといふことが判然としてくるのだ。
 日本を非難する韓国・韓国人はもちろん、日本人自身がもつと日本を知らねばならない。
その上で日韓の諍ひや国内の不穏といはれてゐるものを見れば、従前とは全く違つて見えるだらう。
解決の方途が、進むべき道が、あるいは帰るべき場所が、自づから見えてくるはずである。
 大東塾・影山正治氏のいふ「みたみわれ」「日本と共に」の言葉を心に刻むものとして、学びの道を歩んでゆきたい。
もつと日本を、日本の歴史を、知りたいと思ふ。
                                                                                                             
                                         

 

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