性奴隷か慰安婦か

「慰安婦」という言葉「戦争に疲れた兵士を慰める役割をする 女性」を意味し、「従軍慰安婦」という言葉と混用されてきた。  女性が戦場の軍人に付いて回りながら「慰安」したという意味 になる。性的虐待の強制性と人権蹂躙の犯罪性を隠した用語だ。
平成十二年に東京で開かれた女性国際戦犯法廷では、日本軍の戦争犯罪に対する責任を問うために「日本軍性奴隷(Military Sexual Slavery by Japan)」を公式用語として採択し、その後は性奴隷という名称が使われている。
従軍慰安婦とは
  一九四五年から一九九〇年にかけて、韓国軍ならびに在韓米軍によって組織された慰安婦のこと。
朝鮮戦争時に、北朝鮮の女性兵士や女性ゲリラの捕虜のほか、北朝鮮・支那側の協力者と判断されたり、逃げ遅れた朝鮮人女性が、韓国軍の強制的な連行によって、慰安婦にされた。
韓国軍では「特殊慰安隊」とも呼ばれ、固定式あ るいは移動式慰安婦制度を取り入れて運用した。
(韓国陸軍本部が一九五六年に編纂した公式記録である『後方戦史』の人事編と、目撃者たちの証言によって裏付けられている)
アメリカ戦時情報局心理作戦班 日本人捕虜尋問報告第四十九号
・「慰安婦」とは、売春婦にすぎない。もしくは「野営追随プロ」 ・募集は日本軍が直接行っ
 たわけではなく、業者が仲介した。
・応募者の多くは無学であり、家族の借金のために数百円の前金を受取り契約した。
・慰安婦の収入は総売上げの半分程度であり、平均的な月収は 七五〇円程度(当時、
 日本軍将校(少尉)の月給は 七〇円)。
・食事は十分であり、軍医による定期的な健康診断も実施され、慰安婦の健康状態は良
 好であった。
・規則により夜間と早朝の接客は禁止されていた。 但し、将校は割増料金を払う事で宿
 泊できた。
・慰安婦には避妊具が支給され、客を拒否する特権を持っていた。例えば、酔った客など
 はしばしば拒否した。
・週休一日制であり、オフの日に健康診断が行われた。
・オフには、客の将兵とスポーツやピクニック、デートや食事等を楽しむ事もあった。
・町にショッピングに行くことが許されており、その為のお金も持っていた。
・借金を返済し、契約条件を満たした者は、帰国が可能であった。
・客から求婚する例が多くあり、実際に結婚に至った例もある。
・慰安婦の平均年齢二十五歳。又、この資料には「生活及び労働の状況」という項目が
 あり、実に詳しく慰安婦の生活の状況を示 している。
それを以下に紹介する。
「慰安婦は靴・紙巻きタバコ・化粧品を買う事ができた。彼女達はビルマ滞在中、将兵と一緒にスポーツ行事に参加して過ごし、又、ピクニック・演芸会・夕食会に出席していた。
 彼女達は蓄音機を持っており、都会に買い物に出掛ける事も許されていた。」 又、当時の慰安婦の待遇としては、本人には一カ月毎に麦粉二袋、その家族には月毎にアワ・ヒエ などの雑穀三〇キロを配給、慰安婦の衣食住、医薬品、化粧品は軍が無料配給、旅費も軍が負担する という、新聞・テレビの自虐的報道内容とは掛け離れたものとなっている。
 韓国・在日の学校では、日本人のルーツは「朝鮮半島で生きられなくなって、日本に渡った敗残の韓民族」だと教えられている。
その朝鮮の歴史によると、一三九二年に李氏朝鮮が成立し、儒教朱子学の習俗にもとづいて、両班・中人・常民・賤民の四階級が作られた。
そんな中で日本人は「半島では立場を得られなかった敗残者」であるとされていたために、最低の賤民以下の奴隷階級と勝手に位置づけられた。
しかしその後、「優越的な韓国人が、劣位の日本人と併合してしまった」という儒教朱子学上あってはならない現実が起きてしまった。
それにより、自分たちを許せないと恥じつつ、日本人はもっと許せないという怒りが、「反日感情」となって出てくるのである。
そして、儒教的世界観を壊してしまった自分たちの「歴史の汚点」が、いかにやむを得ない事情で起きてしまったものであるかという「言い訳」が欲しい。
そのために、「日本人による非道性・残虐性を(ねつ造してでも)ことさらに唱えて、安らぎを得る」という心情が、韓国人の「反日感情のしくみ」である。
 過去の日本人の行為のために彼らが反日意識を持っている、と考える日本人は多い。
そして、日本人が彼らに謝罪すれば解決してゆくと。
しかし、それは間違っている。
現に、日本側がいくら経済協力金を支払おうが、謝罪しようが、韓国側の反日意識は何ら変わっていない。
それは、彼らの反日意識が「日本人が彼らの考える序列秩序に黙って従うこと」を要求しているものだからだ。
 韓国人を嫌いになる必要はないが、こういった彼らの「反日感情のしくみ」を知っておくことは、永久に謝罪を求めつづけられる日本人として、大いに役に立つことだろう。
日韓断行は必然的
 昨今の日韓関係が極めて冷え込んでいる。
そのことで日本側が困っているということは特に無さそうだが、南鮮側はそうでもないらしく、日本との関係改善を模索し始めたらしい。
しかし相変わらず「日本側から提案があれば外相会談を前向きに検討する方針だ」などと頭の高さは変わらない。
 日韓関係がこれほどまでに冷え込んでも、日本にほとんど影響らしい影響がないという現実を見れば、日韓断交が日本に悪影響を及ぼすなどと言う韓国人と親韓・擁韓連中の主張が、ただの脅しでしかないというのがよく分かる。
何故日韓は断交した方が、少なくとも日本にとっては良いのか。
南鮮人が他人を騙す習性があるということは、周知の通りだ。
 では自分自身には正直かと問われれば、答えに詰まるものがある。
自分自身の欲望には大変忠実だ。
また、思ったことを腹に溜め込まず、率直に口に出すことを美徳としている。
だが、だからと言って、南鮮人が自分自身に正直であるとは言いづらいと考えている。
「自分自身は、斯くあらねばならぬ」という意識があり、その意識に沿わぬ自分自身を、彼らは決して認められない。
 そのため彼らは、自分を欺くことに何の躊躇もないように見える。
自分(南鮮人)を蹴り出した日本人が如何に極悪非道かを切々と訴え、無辜の自分への同情を誘うが、実際はその南鮮人が、酷いオイタをした結果、蹴り出されたこともあるのが事実だ。
「日本人のチャットルーム」から蹴り出されるような南鮮人は、例外なく度し難いキチガイなのだ。
自己欺瞞 南鮮人
 だが、決して自分自身が度し難いキチガイであることを認めない。
自分自身が度し難いキチガイであることを認めないだけではなく、ほんの数分前に、実際に自分が何をしたのかを、決して自分自身で認めない。
 数年前に南鮮で、在韓日本人の幼児をナタで襲った南鮮人がいた。
その南鮮人が、自分が危害を加えた張本人であるにも関わらず、まるで他人事のように、「へー、子供が怪我したのか」とインタビューに答えていた。
あれもまた、彼らの自己欺瞞のひとつの表現形であったと考えれば、腑に落ちる部分がある。
 何の罪もない幼い無力な子供を、大の大人がナタで襲うなどというのは、いくら南鮮人でも残虐で卑怯な狂人と言わざるを得ない。
もし犯人の南鮮人が、自分がやったのだという自覚を持ってしまうと、自分は残虐で卑怯な狂人だと認めることになる。
だからまるで他人がやったかのように振る舞うことで、自分は残虐でも卑怯でも狂人でもないと自分自身に言い聞かせていたのだと考えれば、まるで他人事のような「へー、子供が怪我したのか」というセリフが出てくるのも理解出来る。
 あるいは、三年間も化粧を落とさないとか、二十代後半女性の半数以上が何らかの整形を行なっているというのも、南鮮人たちがありのままを自分を認められず、自分で自分を騙すことによって自分を保つためのものと言えるのではないだろうか。
 そうやって彼らは自分が信じたいものを信じようとするあまり、自分自身さえも欺くのだと考えれば、彼らに自家撞着が極端に多いのも納得出来る。
彼らは望まぬ結末に自らを導くことが非常に多いが、皮肉なことにそれらは、彼らが自らを欺き、その場限りの望みを叶えていった結果とも言える。
困るのは、自分自身さえも騙す彼らの言にコロコロ引っかかる日本人があまりにも多いということだ。
その日本人は、ただ南鮮人に騙された被害者では終わらない。
 日本人を騙すことによって、日本人のお墨付きを得た南鮮人は自己欺瞞を一層増長させ、自己欺瞞南鮮人は再び日本人を騙すという悪循環を形成する。
また自己欺瞞南鮮人に騙された日本人が、南鮮人の代弁者となり、日本人に向けて被害を拡大再生産することも看過出来ない。
しかし、それでも引っかかる日本人は後を絶たないのが現実だ。
そういう日本人を見るにつけ、南鮮と南鮮人に対する警鐘を鳴らすことはあくまでも次善でしかなく、やはり日本人と南鮮人は、一切の接触を断つことが最善であると結論付けるしかないと痛感する。

木村 高幸

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