「お互いさま」の日本文化

 現在日韓間で問題になっている対馬の盗難仏像騒動で浮き彫りにされた日本人と韓国人の違いに、「日本人は非を穿たれるとまず自分を省みるが、朝鮮人は非を穿たれると即座に相手の非を探しそれを非難するばかりで、決して非を穿たれた自分を省みることがない」ということがある。
こういう態度を、日本人はとみに嫌う。
何故なら、こういう相手とは「お互いさま」が成立しないからだ。
日本人は基本的に「お互いさま」を旨とする。「お互いさま」では、自分が譲れば相手も譲ってくれるだろうと期待する。
譲られた方も、相手が譲ってくれたということは、自分も譲ることを期待されているのだろうなと察し、相手が譲ったのと同じ程度に譲る。
そうやって「お互いさま」は成立する。
阿吽(あうん)の呼吸などと言って、この「お互いさま」はまことに高度な対人意識を要求される。
これには外国人はもとより、当の日本人もかなり疲れるものがある。
だが、疲れても、この方が「長い目で見れば」いろいろ捗るのは間違いない。
実際、そうやって日本は発展して来た。
そのことを日本人は経験則として知っているので、日本ではこれが暗黙の社会規範的なものになっている。
暗黙であるがゆえに、「お互いさま」という社会規範の存在を知らない者は、日本にもそれなりにいる。
 日本人ならば、若年者や、極端に教養の無い者にそういう傾向が強いのだが、若者や馬鹿者とはそういうものだと日本人ならたいてい皆知っているので、余程度を越さない限り彼らが「お互いさま」を習得するまでは遠巻きにして近寄らないし近寄らせない。
外国人が日本社会の「お互いさま」を知らないのは、これもしかたない。
日本の暗黙の社会規範を、他文化圏の者に悟れと言うほど、日本人は傲慢ではない。
ただその代わり、「お互いさま」を知らない外国人を、同じく「お互いさま」を習得していない日本人の若者や馬鹿者に準じる扱いとするのも、やむを得ないというものだろう。
日本人は「お互いさま」が成立しない相手を遠ざけるが、これには自己防衛の意味もある。
こちらが譲っているのに相手が譲らなければ、こちらは譲り損になるし、一度や二度ならまだしも、それが永続的に続けば、譲る方はひたすら搾取されるばかりになる。
更に問題なのは、「お互いさま」の不成立は単に当事者間の損得にとどまらないことだ。
こちらが多少損をしても譲るのは、互いに譲り合うことが全体の利益になることを期待するからだ。
 落語の「三方一両損」などは、まさに「皆が少しずつ損をすることで、結果として安寧秩序という全体的な益を得る」という教訓を含んだ噺だろう。
 日本人が朝鮮人を嫌う理由のひとつに、この「お互いさま」を日本人には強く求めるくせに、朝鮮人自身は実行しないか、極端に朝鮮側の負担を少なくしようと画策するというのがあるのは間違いない。
嫌韓に「人種差別主義者」とか「排外主義者」というレッテルを貼りたがる者がしばしばいる。
しかし嫌韓は人種差別や排外思想に基いて発生したものではない。
嫌韓の根底にあるのは、朝鮮人のこういった所業に対する嫌悪感と危機感なのである。
どれほど嫌韓を抑え込もうとしても、朝鮮人が自分たちの所業を真摯に省み、誠実に改めない限り、あるいは朝鮮人が日本人の視界と意識から完全に排除されない限り、今後嫌韓が増えることはあっても減ることはないだろう。
嫌韓を作り出しているのは、朝鮮人自身だ。
嫌韓を非難するならば、嫌韓を作り出している朝鮮人の所業をまず徹底非難し、それを改めさせるべく努力するのが筋ではないか。
 朝鮮人の所業を「一部の人のすることだから」などと言って看過し、日本側にばかり譲歩と寛容を求めようとする人に、嫌韓を非難する資格は全くないと断言する。
朝鮮人に柔軟性あるいは伸びしろは無い。
変われるというならば、日本人の方が余程だろう。ただし「変わる」と言っても、必ずしも良い方向に変わるとは限らない。
「劣化」も、変わるという意味では同じで、嫌韓を非難しながら変わろうとしない(変われない)朝鮮人と、それを擁護するシンパは、日本人に朝鮮化という「劣化」を求めているのかもしれない。
朝鮮人が変わらずとも(正しくは「変われずとも」)、日本人が朝鮮化、即ち朝鮮人と同じなれば、おそらく現在のような日韓軋轢は少なくなるのではないか。
だが、朝鮮半島に住む同じ朝鮮人同士が南北に分かれて殺し合いをしているのを見ればわかるように、もし日本が朝鮮並に劣化して同レベルになり、今ある「日韓の軋轢」が減少あるいは消滅したとしても、その後に現れるのは安寧秩序ではない。
 現在展開されている朝鮮半島の南北対立に、劣化した日本が加わるだけの話だ。
それを、現在の日本人が望んでいるとは思わない。
もし望んでいる日本人がいるならば、それは既に劣化し、朝鮮人と同じレベルに成り果てた日本人だろう。
日本が劣化し、朝鮮と同じものに成り果てれば、日本の安寧秩序が崩壊するのは当然だが、同時に世界の安寧秩序が危うくなるのも必至だ。
現在の北朝鮮と南朝鮮が世界に及ぼす悪影響だけでも十分過ぎるというのに、そこに劣化日本が加わればどうなるかを、漠然とでも良いので想像してほしい。
 現在、日本では朝鮮化工作が盛んだ。
ことにNHKを始めマスコミは激しいものがある。それが悪いことだとは微塵も思っていないのだろう。
日本人が朝鮮化することは、朝鮮人及び朝鮮化した人々にとって「良い変化」に思えるようだ。
それは朝鮮人がしばしば言う「良心的日本人」という言葉からも察せられる。そのためか日本の朝鮮化工作をマスコミは、善いことだ(少なくとも悪いこととは全く思っていない)と考えているフシが見え隠れする。

 

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